今週のことば
『煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)』
今週は、「煩悩即菩提」という仏教のことばを、静かに味わってみます。
「煩悩」と聞くと、欲や怒り、迷いなど、できれば遠ざけたい心のことを思うかもしれません。けれども、仏教では、そうした心をただ悪いものとして切り捨てるのではなく、その奥にある願いや思いやりに目を向けます。
腹が立つのは、大切にしたいものがあるからです。心配になるのは、誰かを思っているからです。寂しさを感じるのは、人とのつながりを求めているからです。心の揺れの中には、気づかないうちに、やさしさの種が隠れていることがあります。
今週は、迷いや悩みを急いで消そうとせず、「この気持ちは、何を大切にしたいと教えてくれているのだろう」と、そっと眺めてみましょう。
やさしい解説
「煩悩即菩提」とは、煩悩と、悟りや気づきの心が、遠く離れた別々のものではないという意味です。難しく聞こえますが、日々の暮らしに重ねると、少し身近に感じられます。
たとえば、家族のひと言に傷つき、いつまでも心がざわつく日があります。言い返したい気持ちが湧き、何度もその場面を思い出してしまうこともあります。そんなとき、「怒ってはいけない」と自分を責めるより、「私は本当は、わかってほしかったのだな」と気づくことがあります。
気づいたからといって、すぐに心が晴れるわけではありません。それでも、自分の内側にある悲しみや願いを見つけると、相手を責めるだけではない道が、ほんの少し見えてきます。怒りの中にあった「大切にしたい」という思いが、思いやりへ向きを変えることもあります。
法華経には、誰の中にも仏の心があるという、あたたかな見方が流れています。お釈迦様の言葉である「如来寿量」にも、私たちを長く見守り続けるような深い願いが感じられます。うまくできない日も、迷っている日も、見放されてはいません。
煩悩を抱える自分を、無理に立派な人へ変えようとしなくてもよいのです。心配する自分、欲ばる自分、つい不満を口にする自分も、長い人生を懸命に歩いてきた一人の自分です。その姿を静かに見つめるところから、少しずつ気づきが生まれます。
実践ヒント
① 今日、心がざわついたときには、すぐに答えを出そうとせず、ひと呼吸おいてみませんか。「私は何を大切に思っているのだろう」と、胸の内に問いかけるだけでも十分です。怒りの奥にある寂しさや、不安の奥にある願いに気づけるかもしれません。
② 人と関わるとき、相手の言葉の奥にも、何か事情や思いがあるのかもしれないと、少しだけ想像してみるのもよいでしょう。すべてを理解する必要はありません。ただ、決めつける前に一度立ち止まることで、心の景色がやわらぐことがあります。道ばたの草花や、風に揺れる木の葉を眺める時間も、自分と相手を大きく包む自然に気づく小さな実践です。
③ 一日の終わりには、できなかったことよりも、「今日、よくこらえたこと」「誰かにかけたひと言」「心が少しほっとした瞬間」を思い出してみましょう。反省を深くしすぎず、「今日もよく歩きました」と自分に声をかけるように、静かに一日を閉じてみてください。
日々の暮らしに一言
夕暮れどき、窓の外が少しずつ薄紫色に変わっていくころ、心の中に残っていた小さな苛立ちや心配ごとが、ふと浮かんでくることがあります。昼間は忙しさに紛れていた思いが、静かになった部屋で姿を見せるのです。そんなときは、無理に追い払わなくても大丈夫です。「今日もいろいろあったね」と、古くからの友人に声をかけるように、自分の心を迎えてあげましょう。
心配や怒りは、決して好ましいものばかりではありません。それでも、その中には、誰かを失いたくない思い、暮らしを守りたい思い、ちゃんと生きていきたいという願いが息づいています。すぐにやさしい人になれなくても、その願いに気づけたなら、もう心は少しずつ光の方を向いています。
夜空に星が見えない日にも、星そのものが消えたわけではありません。雲の向こうで、静かに光り続けています。私たちの中の仏の心も、それと同じように、迷いの雲に隠れながら見守ってくれているのかもしれません。明日、また心が揺れたとしても、そのたびに気づけばよいのです。
「迷いの中にも、やさしさの種は静かに息づいています。」
ごあいさつ
今週も「法華経と仏教のことば」をお読みいただき、ありがとうございました。
心が揺れる日にも、どうかご自分を急かさず、あたたかく見守ってお過ごしください。来週も、暮らしの中にそっと置いておけることばをお届けします。


