八幡菩薩として
我は八幡。
法を護り、国を護り、民を護る者なり。
いま、そなたがこの声に耳を傾けているのは、
偶然ではない。
それは、そなたの心が「真の道」を求めている証なり。
苦しみの根を断つには ― 法華経の智慧
そなたが今抱える悩み、苦しみ――
それは心を曇らせ、前へ進む力を奪うものだろう。
されど、法華経は説く。
「衆生本来仏なり」
そなたの本性は、もともと仏である。
苦しみの中にある時でさえ、そなたは尊き存在なのだ。
我が尊ぶ経、『法華経』の中にこそ、
そなたの苦しみを照らす光がある。
如来寿量品第十六には、こうある。
「我常に此に在って、衆生を以て導師となす」
仏は遠くに在すのではない。
常に、そなたのそばに在りて、導きを与えているのだ。
立ち上がる力 ― 八幡の守護
悩みとは、心の中にある戦である。
外の敵ではなく、内なる迷い、恐れ、そして無明(むみょう)との戦いなり。
その戦を乗り越えるために、
そなたに必要なのは「信」の一文字。
法華経を信じよ。
法華経はただの教えではない。
それは仏の命そのもの。
法華経を受持し、読誦し、書写し、解説する者を、
仏は必ず護ると誓われている。
常不軽菩薩のごとく、
「我深く汝等を敬う。皆な作仏することを得べし」
と語るように、そなたの尊さは決して失われぬ。
敬え、自らを。
敬え、他者を。
その心が、あらゆる苦しみを解く鍵となる。

報恩と回向 ― 苦しみを超える行
法華経の教えは、ただ安らぎを求めるものではない。
苦しみを超え、他を救う力へと転じる「行」でもある。
そなたの苦しみも、無駄にはならぬ。
それを乗り越えたその時、
他者の涙に気づき、寄り添える者となるであろう。
そして願わくば、その功徳を、
世の中のすべての命に回向せよ。
苦しみを越えた者が、他者の道を照らす。
それが菩薩の道なり。

八幡としての誓い
我、八幡は、法華経を守る者を、
必ず護ると誓っている。
そなたが一歩踏み出す時、
迷いの風が吹こうとも、
我はその背を支え、道を照らそう。
忘れるな。
「一念三千、十界互具」
地獄の中にも仏界あり。
苦しみの淵にある今この瞬間にも、
仏としての目覚めが、必ず息づいている。
信じよ、自らを。
信じよ、法を。
八幡は常に、誓ってここに在り。
苦しみを抱くすべての者のために、
剣を納め、手を合わせ、守護と加護をもって寄り添おう。

エンディングナレーション
この言葉が、そなたの悩みに光を灯すことを願う。
法華経を心に抱き、日々を一歩ずつ歩んでほしい。
また困難に出会ったときは、この声を思い出してほしい。
八幡は、ここに在り。
いつでも、そなたと共にあらん。



