法華経と大黒菩薩

Amulet

大黒菩薩として

わたしは、大黒菩薩。

七福神のひとりとして知られておるが、もともとは、法華経を守護する神であり、仏法に仕える者じゃ。

今日こうして、そなたとご縁を結べたことを、ありがたく思う。

そなたの心の中には、きっと今、何かしらの悩みや苦しみがあるのじゃろう。

人生は、いつも順風満帆とはいかぬ。

思うようにいかぬこと、努力しても報われぬこと、人に理解されぬこと、

そのすべてが、心に重くのしかかっておるのじゃな。

されど、忘れてはならぬことがある。

その悩みや苦しみの中にも、必ず「福徳の芽」が宿っておるのじゃ。

貧しさも、迷いも、仏の眼には尊し

法華経には、すべての人が仏になる「仏性(ぶっしょう)」を持っておると説かれておる。

どんなに貧しくとも、どんなに弱くとも、

仏の眼から見れば、すべての者は尊く、美しい命じゃ。

法華経・如来寿量品第十六には、こうある。

「我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」

―わたし(釈尊)は久遠の昔に成仏し、今もずっとそなたのそばにいる。

仏は遠くにおられるのではない。

苦しむそなたの、すぐそばにおるのじゃ。

だからこそ言うのじゃ。

そなたの悩みも、そなたの人生も、決して無駄ではない。

そのすべてが、やがて宝と化す時が来るのじゃ。

福徳とは、ただ金銀財宝にあらず

「大黒様」と聞いて、人々は福の神、金運の神として思い浮かべるじゃろう。

それもよい。しかし、本当の「福」とは何か。

福とは、心の安らぎじゃ。

徳とは、人を包み、人に与える力じゃ。

法華経・勧持品第十三では、こう説かれておる。

「読誦し、解説し、書写し、供養する者をば、天龍夜叉、常に擁護すべし」

法華経を信じ、実践する者は、

天の力・龍の加護・善神の守護を受ける。

わし、大黒もその一柱。

法華経を持つ者にこそ、本当の福徳を届けたいと思っておる。

金がなくとも、

家が狭くとも、

そなたの心が、法華経に触れ、仏の道を歩むなら、

必ず、そなたの人生は「内なる富」に満たされてゆく。

そして、その内なる富は、やがて外なる恵みも呼び込む。

心を豊かにする者には、現実の福もまた集まってくるものじゃ。

苦しみの中の功徳

「こんなに苦しんでばかりで、何が功徳か」と思うこともあるじゃろう。

しかし、法華経は言う。

「此の経は持ち難し。若し暫くも持つ者は、我即ち歓喜し、諸仏も然なり」(宝塔品第十一)

法華経の教えを信じ、たとえ一言でも持ち続ける者を、

仏たちは心から喜び、守ってくれる。

そなたが苦しみの中で、あきらめずに今日を生きておること、

それこそが、最大の功徳なのじゃ。

今は報われぬように思える日々も、

実は、そなたの命に福徳を積み重ねておるのじゃ。

まるで、冬の田畑の下に、春の芽が眠っているようにな。

信じる心が福を招く

わしは、大黒。

商売繁盛・五穀豊穣・家内安全を祈る者として崇められておるが、

本当に守りたいのは、そなたの「信じる心」じゃ。

信じよ、自らを。

信じよ、仏を。

信じよ、法華経の力を。

法華経・妙荘厳王本事品では、

信心を貫いた王とその家族が、苦難を越えて仏道を成就したと説かれておる。

どんな試練があろうとも、

心に仏を抱いて歩む者は、必ず幸せと出会う。

そなたの一歩一歩が、やがて道となり、

そなたの願いが、やがて果実となるのじゃ。

今日もまた、共にある

覚えておくがよい。

福とは、外から与えられるものではない。

福とは、そなたの中から湧き上がるものじゃ。

苦しみの中でこそ、

不安の最中でこそ、

法華経の光は最も強く輝く。

わしは、そなたがその光に向かって歩む限り、

必ずそばにおる。

そなたの家に笑顔が戻るよう、

そなたの仕事に喜びが生まれるよう、

そなたの心に光がともるよう、

わし、大黒は、今日もまた祈っておる。

🧡エンディングナレーション

この言葉が、そなたの心に小さな灯火をともせば幸いじゃ。

苦しい日にも、仏はともに在り、

福徳の因縁は、すでにそなたの中にある。

またいつでも、ここに戻ってくるがよい。

わしは、そなたと共におる。

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